五龍岳冬山合宿
日時:1960年1月
メンバー:名古屋山の会
画像及びコメントは鈴木茂三さんからいただきました。
遠見尾根ベースキャンプにて
この時の合宿参加者は13名ですがここに写っているのは、五龍岳アタック終了者です。残りの人はまだベースキャンプ
に帰っていません。みんな若いですね。
五龍岳頂上
山頂はガスっていました。
合宿最後の下山日です
今は五龍遠見スキー場となっている遠見尾根を神城へ向けて下山するところです。装備が重そうですね
鹿島槍ヶ岳大冷沢春山合宿
日時:1960年5月
メンバー:名古屋山の会
画像及びコメントは鈴木茂三さんからいただきました。
ベースキャンプ
この頃の名古屋山の会は、夏は穂高連峰、春と冬は後立山連峰で合宿することが多かった。
毎年GWは新人合宿が行われこの年は鹿島槍ヶ岳の大冷沢定着合宿でした。
大谷原から1時間ほど歩いたところが西俣出合のベースキャンプです。
ここから東尾根、鎌尾根、ダイレクト尾根の3ルートで鹿島槍へ。
また、新人は赤岩尾根から爺岳、鹿島槍に登りました。
写真の後列左から国島、杉山(翁)。前列中央が茂さん。みんな若いですね。
食事風景
このころは人数が多いので、大ナベによる炊事が行われました。
この日の夕飯は、列車(このころの大糸線はSL)に置き忘れてあったアサリをいただいて味噌汁を作りました。
新人隊
赤岩尾根を登る新人隊。先頭は国島リーダーです。
鹿島槍ヶ岳東尾根冬山合宿(1961年1月)
日時:1960年5月
メンバー:名古屋山の会
画像及びコメントは鈴木茂三さんからいただきました。
荷揚げの帰り
冬は雪崩を避けるため今の大谷原スキー場あたりから東尾根を登ります。
尾根の中腹にベースキャンプを設営して、東尾根第1岩峰直下にアタックテントを設営しました。
この写真は、ACまでの荷揚げの帰りです。このころは背負子を使用していました。
待機中
ACにて。この3人はアタックメンバーから外され待機しております。
この時のリーダーは翁さんでした。アタック隊は国島、都築さんの2名。
私達もアタックしたいと翁リーダーに懇願しましたが、「おまえらは
明日第2次アタック隊として登らしたるから今日は我慢せい。」との
つれない返事。がっかりしているところです。結局、翌日から猛吹雪となり、撤退しました。
AC風景
AC風景。このころはウィンパー型テントが主流でした。
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